大判例

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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)3344号 判決 1971年10月12日

原告

荻野とり子

代理人

大貫大八

大貫正一

被告

大成火災海上保険株式会社

代理人

赤坂軍治

主文

一、被告は、原告に対し金一六二万九〇七九円およびこれに対する昭和四四年四月一〇以降完済まで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の、各負担とする。

四、この判決は、原告勝訴の部分に限り、かりに執行することができる。

事実

第一  請求の趣旨

一  被告は、原告に対し三〇〇万円およびこれに対する昭和四四年四月一〇以降完済まで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および仮執行の宣言を求める。

第二  請求の趣旨に対する答弁

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第三  請求の原因

一  (保険契約の締結)

訴外荻野房雄は、昭和四二年一一月二九日被告との間に普通貨物自動車登録番号埼玉一そ七二七七号(以下、本件自動車という)について、保険期間を同日から翌四三年一二月二九日までとする自動車損害賠償責任保険契約(以下、本件保険契約という)を締結した。

二  (事故の発生)

訴外荻野文弘(以下、亡文弘という)は、次の交通事故によつて死亡した。

(一)  発生時  昭和四三年六月一八日午後五時一五分頃

(二)  発生場所 埼玉県大里郡岡部町善済寺一三七〇番地 原告方庭先

(三)  加害者  本件自動車

運転者  訴外 久保田恵治

(四)  被害者  亡文弘(当時二才六月)

(五)  態様  庭先で一人遊びをしていた亡文弘を後退中の本件自動車が轢過した。

(六)  亡文弘は、同日午後六時一五分頃死亡した。

三  (訴外房雄の自賠法三条の責任)

訴外房雄は、本件自動車を所有して自己のため運行の用に供していた者であるから、自賠法三条に基づき、本件事故により原告の蒙つた損害を賠償する責任がある。

四  (損害)

(一)  亡文弘の逸失利益相続分

二四八万六〇二一円

亡文弘は、昭和四〇年一二月一〇生れの男子であり、本件事故がなければ一九才から六五才までの四六年間にわたり毎月五万五四〇四円の平均賃金を得られたはずであり(昭和四四年度労働白書による)、その間の生活費は通じて月額三万円以下とみられるからこれを控除し、さらに年五分の中間利息を控除すること、その間の過失利益の現価は四九七万二〇四三円を算定される。

そして、亡文弘は、原告と訴外房雄の長男であるから、原告は右賠償請求権の二分の一に当る右金額を相続した。

(二)  慰藉料 三〇〇万円

前記諸事情に鑑み、長男文弘を失つた原告の精神的苦痛を慰藉すべき額としては、右金員が相当である。

(三)  弁護士費用 四〇万円

五  (結論)

よつて、原告は被告に対し、自賠法一六条一項に基づき、保険金の限度において、以上損害中三〇〇万円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四四年四月一〇日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第四  被告の事実上および法律上の主張

一  (請求原因に対する認否)

(一)  請求原因第一ないし第三項の事実は認める。

(二)  同第四項のうち、原告と訴外房雄が夫婦であり、亡文弘がその長男であることは認めるが、その余の事実は知らない。

二  (主張)

(一)  原告は、自宅において夫である訴外房雄と相協力して個人経営の漬物加工販売業を営み、本件自動車を自己のため運行の用に供していた者であるから、本件事故に関しては訴外房雄と共に賠償義務者であり、相続による請求権も混同によつて消滅したものというべきである。

(二)  原告は、本件事故の前後を通じて訴外房雄とは円満な家庭生活を営んでいるものである。従つて、原告の訴外房雄に対する損害賠償請求権の行使は、生活共同体を事実上破壊するものであつて許されない。そして、このように、加害者の損害賠償責任が否定される場合には、責任保険としての性質上、自賠治一六条一項による直接請求も許されないというべきである。

(三)  かりに、原告に損害賠償の請求が許されるとしても、次の諸点が考慮さるべきである。

(1) 過失相殺

本件事故発生には、幼児である亡文弘に対する原告の監護義務を怠つた過失も与つて大というべきであるから、賠償額算定にあたり、右過失を斟酌して八割程度減額するのが相当である。

(2) 逸失利益の算定期間

相続の対象とされる亡文弘の逸失利益の計算期間は相続の可能性ある原告自身の平均余命の範囲内に限定すべきである。すなわち、原告は昭和八年二月二八日生れであり、亡文弘の稼働開始年令一九才時には五二才に達しているから、亡文弘の逸失利益計算期間は原告の平均余命までの二三年間とすべきである。

(3) 慰藉料

原告が訴外房雄と円満な家庭生活を継続している以上、原告の慰藉料請求は許されない。

第五  被告の主張に対する答弁

一  被告の主張のうち、原告の夫である訴外房雄が個人経営の漬物加工販売業を営んでいることは認めるが、その余の事実は否認する。

二  その余の主張はすべて争う。

第六  証拠関係《略》

理由

一(本件保険契約の締結および死亡事故の発生)

請求原因第一・二項の事実は、当事者間に争いがない。

二(訴外房雄の自賠法三条の責任)

訴外房雄が本件自動車を所有して自己のため運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。

被告は、原告自身も訴外房雄と共同で家業である漬物加工販売業を営み、ともに本件自動車の運行供用者である旨主張するが、<証拠>によれば、原告の夫房雄は、個人で漬物加工販売業を経営し(この点は当事者間に争いがない)、右営業のため常時四名の従業員と臨時に一〇名前後の従業員を雇う一方、原告はもつぱら家事と育児に専念して右経営には全く参画していないことが認められ、他に原告が訴外房雄と共に本件自動車に対する何らかの使用権を有していたと認めるに足る証拠はない。

従つて、原告は加害者の運行供用者に該当せず、この点についての被告の主張は理由がない。

三(原告の損害賠償請求権の存否)

被告は、原告が事故の前後を通じて訴外房雄と円満な家庭生活を営んでいることを理由に、これを事実上破壊するような損害賠償請求権の行使は許されない旨主張する。

なるほど、通常、円満な家庭生活を営んでいる夫婦間において一方が他方に対し損害を及ぼす場合があつても、多くは被害を受けた一方は他方を宥恕し、円満な家庭生活を維持するためあえて他方に対する損害賠償の請求をしないのが大多数の場合であるといえるが、しかし、これをもつて直ちに円満な夫婦間においては、被害を受けた一方から他方に対する損害の賠償請求権が、いかなる場合においても発生しないとし、あるいはこれを行使しえないとしてこれを制限する根拠は、夫婦間に別産制をとる民法の原則に照してこれを見出し難い。

この点は、被害者の受けた損害が財産上の損害であると精神的損害であるとによつて基本的に異るところはないというべきである。ただ、加害者と被害者とが夫婦であつて、その関係が円満であるときは、そのことが慰藉料算定において減額事由となるし、また加害の違法性と結果の程度如何によつては、それによる精神的苦痛を受忍すべきものとされ、慰藉料講求権の発生が否定される場合がありうるのにすぎない。

従つて、本件保険金請求権の前提としての原告の訴外房雄に対する損害賠償調求権とその行使が認められる以上、本件保険契約に基づく直接請求権の行使が許されないとする理由はない。

四(過失相殺の適否)

<証拠>によれば次の事実が認められる。

本件事故は、原告と訴外房雄の住居と作業所等が併設されている自宅兼事務所の庭内で発生した事故であり、訴外房雄の被用者で本件自動車の運転者である訴外久保田が、庭内でこれを後退させるに際し、バツクミラーで覗いただけで後方の安全を十分に確認しなかつたため、車の後方に遊んでいた亡文弘の存在に気付かず、同人を左後輪で轢いたものである。文弘は当時二才六月の男児で、母親である原告がちよつと目を離している間にひとりで庭に出て遊んでいた間のことである。この庭は、房雄の所有車三台の他取引先の車の出入りがあるが、原告は文弘に対し庭内で遊ぶことを許容しており右久保田もまた平素庭内で子供が遊ぶことがあることを知つていた。

右事実によれば、文弘が車の後退に気付かず遊んでいたことも事故の原因の一つであり、従つて監護義務者である原告の監護上の不注意も事故発生に関与しているとみることができる。しかしながら、二才六月に達した幼児を監護者なしに自宅の庭で遊ばせること自体しかく不当とはいい難い。けだし、このような場所は、一般公衆の車が出入することはなく房雄の所有車その他取引先の車は、この庭先を遊び場所としている文弘に十分注意して車を移動させることが期待できるからである。本件事故は、久保田が、文弘の遊ぶ場所であることを知りながら右の如き不注意な運転をしたことに起因するものというべく、原告の不注意は賠償額を減額すべき程度のものということができないから、過失相殺による損害額の減額をしない。

五(損害)

(一)  逸失利益相続分

一一二万九〇七九円

<証拠>によれば、亡文弘は昭和四〇年一二月一〇日生れの男子であることが認められるから、本件事故がなければ、同人は少くとも二〇才から六〇才までの四〇年間にわたり、年収一〇二万六九〇〇円(労働大臣官房労働統計調査部作成の賃金構造基本統計調査報告昭和四五年度による)程度をあげうるものと予測され、その間の生活費は右収入の五割程度と認めるのが相当であるからこれを控除したうえ、ライプニツツ式計算法により年五分の中間利息を控除して合算し、さらに稼働開始時までの一八年間については養育費等稼働能力取得までの必要経費として少くとも月額平均一万円を要するものと認めるのが相当であるから、これについても右同様中間利息を控除して合算した額を右合算額から控除し、もつて文弘の逸失利益の現価を求めると、次の算式のとおり二二五万八一五八円と算定される。

1026.900×(1−0.5)×(18.8195−11.6895)−120,000円×11.6895=2,258,158円

そして、亡文弘が原告と訴外房雄の長男であることは当事者間に争いがないから、原告は、右賠償請求権の二分の一に当る頭書金額を相続したものとみられる。

なお、被告は、右逸失利益算定期間につき、原告の平均余命を限度とすべき旨主張するが、いわゆる逸失利益の相続論をとる以上、右主張は採用しない。

(二)  慰藉料   五〇万円

子を失つた母親の精神的苦痛は真に耐え難いものであるから、たとえ加害車の運行供用者がなお円満な婚姻生活を営んでいる夫である場合であつても、これを全面的に宥恕すべきであるとするのは妥当でなく、本件の諸般の事情を考慮すると、原告の慰藉料としては、右金額が相当である。

(三)  弁護士費用

自賠法一六条一項は、被害者が保険契約者たる保有者に対して損害賠償請求権を有することを前提として、これを直接保険会社に請求することを認めた規定である。従つて本件において、弁護士費用が本件事故に基づく損害と認めうるかどうかについても、保有者たる訴外房雄に対する関係においてまずこれを考えるべきであり、それが肯定されて初めて保険会社に対する請求を認めうるのである。

しかるに、原告と訴外房雄とが円満な関係を維持する夫婦であることは前示のとおりであり、弁論の全趣旨によれば、原告は同人に対し訴訟により権利を行使する意思のないことが明らかである。そうとすれば、同訴外人に対する関係において、訴訟遂行のため必要な弁護士費用を本件事故による損害費用として計上することはできない。一方、原告が本訴のために要した弁護士費用は、本件事故と相当因果関係ある損害とはいえない。よつて、本件においては原告は保険会社に対する自賠法一六条一項による請求として弁護士費用の請求はできない。

六(結論)

よつて原告の本訴請求は、以上合計一六二万九〇七九円およびこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかである昭和四四年四月一〇以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行宣言につき同法一九六条に従い、主文のとおり判決する。(坂井芳雄 浜崎恭生 鷺岡康雄)

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